倭・大和(やまと)書道作品


やまと(倭・大和)
YAMATO
ancient province corresponding to modern-day Nara Prefecture, ancient Japan



日本の国名の変遷をさかのぼると、紀元前の「やまと」に辿り着きます。邪馬台国の「邪馬台」とも同源だと言われている「やまと」という和語の語源は残念ながら不詳。ちなみにもっとも有力な説は「山のふもとという意味から来ている説」だそうです。国名とは言っても、当時の日本はまだ諸国が分断し政権が統一されておらず、「やまと」も最大勢力を持っていた奈良の王朝の名でした。

漢字の「倭」については、中国から見た日本の呼称「倭(わ)」の字をそのまま当時のヤマト王朝の「やまと」に当てはめたとのこと。「倭」の字があてられるまでの文書では、万葉仮名で「夜麻登」などと表記されています。

夜麻登波 / やまとは
久爾能麻本呂婆 / くにのまほろば
多多那豆久 / たたなづく
阿袁加岐 / あをかき
夜麻碁母禮流 / やまごもれる
夜麻登志宇流波斯 / やまとしうるはし

古事記より、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が詠んだとされる望郷の歌の一節



倭(やまと)は、やがて河内から九州へとその覇権を広げてゆき、飛鳥時代には「大倭(やまと)」と表記されるようになります。そののち、奈良時代のはじめに、女帝元明天皇によって国号は好字(良い意味の漢字)二字で表記することが定められ、それを期に大倭王朝は漢字を「大和」と改めます。

701年に大宝律令が制定され、事実上、大和朝廷が当時未開だった関東以北を除く西日本を統一します。その時に初めて朝廷は国号を「日本」と定めました。「日本」という漢字の表記は、聖徳太子が中国に送った書簡の中で天皇を指して「日出ずる処の天子」と記したことに由来していると言われていますが、これも不詳。制定された当時は、漢字こそ「日本」ですが読みはまだ「やまと」、あるいは「ひのもと」でした。当時の国際語である中国読みで「ニッポン、ジッポン」と発音するようになるのは奈良時代の終わりから室町時代にかけてのこと。ちなみに、国際的な呼称「Japan」は、漢語の発音「ジッポン」に由来すると考えられています。

それ以来、現在に至るまで「日本」、あるいは「日本国」が事実上正式な国名とされていますが、残念ながらわが国には国名を定めた法律がいまだにありません。余談ですが、国歌、国旗ではないと言われていた「君が代、日の丸」は、1999年小渕内閣時に成立した「国旗及び国歌に関する法律」で正式に国歌、国旗であると定められています。

最後に、日本の読みは「ニッポン」と「ニホン」のどちらが正式な読み方なのかについて。
日本には、読みどころか正式な国名を定めた法律すらないので正解はありませんが、これまではなんとなく「ニッポン」が正式な読みとされてきました。紙幣や切手の「Nippon」の表記がその名残です。1934年(昭和9年)に、当時の文部省が読みを「にっぽん」に統一し、国際表記も「Japan」ではなく「Nippon」を使用しようという提案をまとめたものの、ウヤムヤで終わってしまったそうです。しかし、つい最近の2009年(平成21年)、当時の小泉内閣が「にっぽん、にほんともに広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」という認識を閣議決定したことにより、現在ではどっちでもいいということになっています。


大和ことば – 335 / 365

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