洗心(せんしん)禅語 書道作品


洗心

せんしん


たまに、取り外して垢すりタオルでゴシゴシ洗えたらいいのになと思うことがあります。目ん玉とか、肺とか、あと、どこにあるのかわかりませんがココロもそうでしょうか。不安がへばりついていたり、不満が悶々と蓄積していたり、良心の呵責でガサガサになっていたりするときには、塩素系漂白剤でもぶっかけてきれいさっぱり洗い流せたらなとか。

閑話休題。

この「洗心」とは、東洋最古の文書と言われている中国の「易経」なる書物に登場する言葉。文字通り、心を洗う術とまではいきませんが、その必要性とコツが書かれています。

易経によると、洗い流すべき心の汚れは、「不安や不満、嫉妬、怒り、はかりごと」などの悪い心ではなく、「期待や願い、固定概念」なんだそうです。過度な期待や固定概念があると期待はずれの現実に不満が生まれる。ゆえに無駄な予見をなくし、平常の心で現実と未来を受け止めよ。そうすれば心に波風が立つこともなくなる。というのが「易経」のいう「洗心」の考え方だそうで。

そういえば、仲間うちで食事でもしようかとなった時に、あれが食べたいこれが飲みたいということを一切主張しない、「なんでもいいよ」というスタンスの友人がいます。彼は特に何も期待していないからでしょうか、いつもストレスとは無縁そうな涼しい顔をしています。きっと心のゴミもあんまり溜まっていないんでしょうね。

なるほど、なんとなく理屈としては理解出来ました。
でもボクはまだ当分無理そうです。洗心。


禅のことば – 006 / 365

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