自由(自らに由る)禅語 禅書 書道作品


自由

みずからによる


会社員とフリーランスの会話って面白いですよね。会社員はフリーランスの自由さを、フリーランスは会社員の安定的な収入を「うらやましい」と言いながらも、互いに「まぁ私には絶対できないけど」というスタンスを崩さない。よくそんなシーンを目にします。

フリーランスの肩を持つわけじゃないですが、会社員の方がフリーランスを指して「自由でいいね」という時の「自由」と、フリーランス自身が体感している「自由」は少し違いがあるように思います。一見、着るものも仕事のスタイルも休みの取りかたも、表面的には「好き勝手」しているように見えますが、それが良くも悪くも仕事や生活に結果として跳ね返って来たときにはすべて自己裁量で解決することになります。フリーランスの感じている「自由」は、この「結果の受け止めかたも含め自分自身の判断基準で裁量できる」というところ。ボクはそう思っています。


閑話休題。仏教における「自由」とは、自分自身をよりどころとすること。抑圧や束縛からの開放という、現代語における「自由」のニュアンスとは少し意味合いが違います。

余談ですが、福沢諭吉が「Liberty」を日本語に翻訳する際、「自主、自專、自得、自若、自主宰、任意、寛容、従容…」などの言葉と迷いに迷った挙句、しぶしぶ「自由」にしたそうです。Libertyが外来語なら自由も元々は中国仏教の言葉。もしかしたら日本人にとって理解が難しい概念なのかもしれないですね。


禅のことば – 090 / 365

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