當局者迷(きょくにあたるものはまよう)禅語 禅書 書道作品


當局者迷

きょくにあたるものは、まよう


青森から帰京したら、東京都知事選の投票整理券が届いていました。
メディアも他にネタがないからか、先の衆院選よりも盛り上がってるんじゃないかと思うほどの過熱ぶり。どの局を見てもしたり顔のコメンテーターがズラッと並んで候補者の経歴や選挙活動についてあれこれと評論していますが、候補者もイマイチならコメンテーターも残念ながらイマイチ。あまり有意義な情報を得られないまま、さて何を決め手にして投票したものか。都民として悩ましいところです。


閑話休題。当事者よりも、第三者のほうが状況を客観的かつ冷静に判断できるという意味の、「岡目八目(おかめはちもく)」ということわざがあります。もともとは囲碁の言葉だったとか。観客は、打っている本人よりも八目先まで手を予見できるということだそうで。

この「當局者迷」という禅語も同じ意味の言葉で、やはりこれも囲碁に例えた言葉だったようです。當は当の旧字。教えとしては、「当事者であっても第三者のように俯瞰で状況を見ねばならぬ」ということでしょう。

確かにおっしゃるとおり。ですが、仮にうまく俯瞰視できずに右往左往したとしても、他人の局面をあれこれ評論するだけでなんの冒険もない平坦な人生より、当局者であり続ける生き方がしたいわけで。

岡目で見ていても八目先が読めないエセ評論家のコメントを聞きながら、ふとそんなことを考えた昼下がり。
投票日までに梅雨が明けるといいですね。


禅のことば – 043 / 365

毎日一語、趣きのある禅語をえらんで書にしています。
Facebookで日々公開していますのでもしご興味があれば。