勘辨 禅語 禅書 書道作品 zen zenwords calligraphy


勘辨

かんべん


会話を通じて、アタマの中で形になっていなかったおぼろげな考えをスルスルと引き出されることがあります。そういう時は、思考が前進しているとでも言えばいいんでしょうか。新しい情報や考え方をインプットしてもらうことで、自力ではつなげらなかったシナプスがプチプチとつながっていくような快感が得られます。

その逆が、もうすでにコチラのアタマに形成されてるアイデアや考え方を言葉にして説明するタイプの会話。話していても、すでにアタマにできあがっているものをしゃべっているだけなので、コチラの思考は停滞したまま。それは会話というよりももはや一方通行的な独演会のようなもので、いくら話しても話してる側が得るものはありません。いわゆるお説教というヤツもこっちの部類ですね。

できれば前者の会話ができる人と話したいし、自分自身もそういう会話ができる人間でありたいなと、そんなことを思いつつ。


閑話休題。

本来、勘辨(勘弁)とは、修行僧の力量を試すことを指したことばだったそうです。師匠と弟子がマンツーマンで向き合い、師の問いに答える形でテストされるものなんだとか。現代の「許す」という意味で使われるようになったのは、よくない結果を多目に見るというあたりから来ているんでしょうか。

なんだか取り留めもないハナシになってしまいましたが、今日のところはこのあたりでご勘弁を。


禅のことば – 214 / 365

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