一期一会(いちごいちえ)禅語 禅書 書道作品


一期一会

いちごいちえ


知人に、何度も同じ人物を撮影する写真家さんがいます。セットを組まずとも、お茶を飲みながら、食事をしながら、気がつけばまばたきをするようにシャッターを切っている人なので、何度か会っているうちに自然と同じ人物を撮ることにもなるわけですが、同じ写真がまったくないのが面白い。時間も経過していれば場所も違うので当たり前…ということ以上に、撮られる側と撮る側のその場その時のテンションと関係性が自然に映写された結果なんだと思います。

一期一会は、もともとは禅語というよりも茶の湯の心得をあらわした言葉。千利休に20年間師事した山上宗二が、自著「山上宗ニ記」において、「茶会の席では一生に一度の機会だと思い、あるじも客もお互いに誠意を尽くせ」という心得を「一期に一度の会」として記しているのが語源です。

「一期」は仏道で人が生まれてから死ぬまでを、「一会」はその中での出会いや集いの機会を意味することば。人生に一度会えるか会えないかの人と出会った時は、誰だってその機会を大切にしベストを尽くすでしょう。でも、一期一会の教えはそういうことではありません。例え同じ人との同じ場所での茶席であっても、その日その人とのその場は人生に一度しか巡ってこないと思って大切にしなよ、ということです。冒頭の写真家さんも、聞いたことはありませんが、きっとそのことを経験則で感じているから毎回シャッターを切ってるんだと思います。

仏教徒でもなく、茶人でもないボクがこの言葉を教訓とするならば、毎月仕事をもらっているクライアントや定期的に顔を合わせて無駄話を楽しむ仲間、あるいはいつも顔を合わせる家族に対して、なのかもしれません。

余談ですが、この山上宗二は晩年、と言っても今のボクと同じ46歳で秀吉の怒りを買い、最期は耳と鼻を削がれて打ち首になるという壮絶な人生だったとか。仏道の教えも茶の湯の精神も、太閤秀吉にはまったく伝わらなかったようで。


禅のことば – 015 / 365

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