萬里一条鉄(ばんりいちじょうのてつ)禅語 禅書 書道作品


萬里一条鉄

ばんりいちじょうのてつ


いつだったか、親父が正月のテレビに出演中のキムタクをみながら「最近の若いもんが何でも言葉を略すのはよくない傾向やなぁ…」とボヤいたことがありました。しかしながら親父、名前を略して呼ばれているのはなにも木村拓哉氏がはじめてではないわけで。田村正和氏のご尊父、大正から昭和初期に活躍された俳優の阪東妻三郎さんを「バンツマ」と呼んでいたのは親父よりもさらに年配の世代なわけで。

言葉は時代時代でどんどん変化していくものです。先の略語のことで言うならば、銀座をぶらぶらすることを「銀ブラ」と言い、横浜発のトラディショナルなファッションを「ハマトラ」と呼び、もしかしたら流行らせたのは祖父から親父の世代のしわざかもしれません。もっというならば、まじめを「まじ」と略して使ったのは江戸時代の町衆だし、玉杓子を「おたま」と略したのは室町時代の女中さんです。言葉とはそうやって文化を受け継ぎながら変化してきたし、むしろこれからもそうあるべきでしょう。

むしろボクがそんな言葉の変化より心配なのが、「モラルの崩壊」とでも言えばいいのか、最近のオトナたちの言葉の暴力に対する倫理観です。ゲームに夢中になる人々に向かって「心の底から侮蔑します」とか、お寿司屋さんに向かって「バカじゃねぇの」とか、いずれも人前で話すことを仕事としている「コメンテーター」の肩書きを持つオトナの公の場での発言ですよ。ほかにも挙げればキリがありませんが、いつからそんな汚い言葉を公の場で言えるようになったんですかね。ほんと聞いてて気分が悪い。


閑話休題。「仏道の真理は一万里にわたってまっすぐ伸びる鉄のように不変のものだ」という意味の「萬里一条鉄」という禅語があります。時代を超えても場所が変わっても真理は変わらないと。

人に向かって「死ね」とか「バカ」とか、そんなことを言っていい時代はこれまでにもなかったし、これからもあっちゃいけないはず。言葉は時代に即して変わっても、変わっちゃいけないものもあると、ボクはそう思います。


禅のことば – 057 / 365

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