自返照看(みずから返照してみよ)禅語 禅書作品


自返照看

みずからへんしょうしてみよ


失ってみてはじめてその大切さに気づくということがあります。腹筋は割れていないけれど今日明日を無事に過ごせる健康な身体、贅沢はできないけれど毎日食べられるおいしい食事、広くはないけれど鍵がかかって心おきなく寛げる家、いやな上司はうっとおしいけどちゃんとお給料をくれる勤め先、そして平々凡々とした日常。

でもボクたちはふだん、体脂肪率がひとケタのシックスパックボディや、回転していないお寿司、海が見える広い庭つきの一戸建てや福利厚生の行き届いた残業のない職場があったらなぁ…と、持っていないもののことばかり考えながら生きています。持っているものを挙げろと言われてもなかなか出てこない人も、欲しいものを挙げろと言われたら際限なく出てくるんじゃないですかね。ボクもそうです。

閑話休題。

臨済宗の開祖、臨済義玄禅師が語った「自返照看」とはまさにそんなボクたちに向けられたことばです。
禅師いわく、「諸君、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。なのに諸君は禅を学びながらもっと知識が欲しいと脇道にそれてしまっている。諸君、間違うことなかれ、君たちはただ一人の自分自身であって、それ以上に何を求めようとしているのか。自らの内面を照らしてよく見ればいい。平常心をなくしてカッコつけていてはいけないよ。」と。有名な「知足」という禅語にも通じる考え方ですね。

確かにボクたちはもう持っています。幸せです。
でも、やっぱりもっと持ってる人たちのことを羨みながら、持っていないもののことに気持ちがいってしまうのが人間の性。ボクは仏門に入るつもりはないので、臨済禅師には申し訳ないですが、平穏な毎日に感謝しつつこれからも開き直って欲しいもののことを考えていこうと思います。

あぁ海の見える豪邸に住みたい。


禅のことば – 005 / 365

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