大道無門(だいどうにもんなし)daidou-ni-mon-nashi 禅語


大道無門

だいどうにもんなし


私が生まれ育った大阪には「やったもん勝ち」という価値観があります。大阪の子供は、ちいさな頃からまわりのオトナたちが口にするこの言葉を聞きながら育ちます。近所のおばちゃんからそれこそ学校の先生まで、「ごろうちゃん、人生やったもん勝ちやでぇ」と。他県のみなさんから見た時の、大阪人がグイグイと一歩前に出る厚かましさはこの価値観に由来しているとボクは思ってます。

大阪人気質のハナシはとりあえず置いておいて、この「やったもん勝ち」の反対は「やらないもん負け」。勝つの負けるのというとちょっと物騒に聞こえますが、この言葉の意味するところは「挑戦したものは挑戦しなかったものより一歩先んじる」ということです。大阪を後にして上京してからは、このやったもん勝ちの精神がずいぶんと役に立ってくれました。大阪にはやったもん勝ち人間がたくさんいるので競争率も高いですが、チャンスの数がケタ違いに多い東京にはあんまりいないんですよね、グイグイ出る人が。もちろん、露骨に「わしがやるでぇ」と手を挙げると嫌な顔をされるのでちょっとオブラートに包んでスマートにエントリーするテクニックも必要ですが。


閑話休題、この、大道無門(大道に門無し)は、宋の無門慧開という僧侶が遺した言葉。そのまま今の言葉にすると「大通りには門がなく、だれでも往来することができる」となります。仏教の悟りへの道はひろく開かれているのでどこからでも入ることができるというストレートな解釈から、また転じて何でも受け入れる心の広さ、ふところの大きさの例えとして意訳されることも。

どう読むかはあなた次第ですが、今日のボクは「夢への門戸はひらかれているどころかそもそもないんだからまずは一歩踏み出してみなさい」と解釈し、冒頭の「やったもん勝ち」という言葉を思い出しました。夢の叶え方がわからず悶々としているみなさん、大道に門無しです。



今日2016年6月6日から一年間、禅語を一日一語書でご紹介しようと思います。
禅語は、もともと禅宗の僧侶による禅問答の解です。有名なものはよく生きるための教訓や格言として引用されますが、禅問答ゆえ漠然としたものが多く、解釈如何によってどうとでも読み取れるという側面もあります。ありがたいお言葉としてそのまま受け取るのもいいかもしれませんが、自分なりの解釈で読んでみるのもまた一興。

カンタンな解説はつけるつもりですが、どうぞ好きなように読んでみてください。
向き合った禅語をどう解釈したかによって、なんとなく今の自分自身が見えてくると思いますよ。


禅のことば – 001 / 365

毎日一語、趣きのある禅語をえらんで書にしています。
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